うちの可愛い長女はアニメ「推しの子」が大好きです。
夏休み、ずっと観ていたようです。
なんでしょうね、あの観ている時の集中力。
この「推し」。
好きとも違う、ファンとも違う心情の表現。
いつの頃からか世間で一般的に使われる用語になりましたね。
推し活、推しメン・・・
推し◯◯と色々使われます。
いつの時代も言葉とはその社会や生きる人々の気持ちを反映するもの。
なぜこの推しという言葉が浸透してきているのでしょうか。
単に流行り言葉で終わりにするのではなく、その背景に何があるのか、少し想像してみたいと思います。
今回は私の妄想というか仮説です。
できるだけシンプルに書いていきますので。
では、いきます。
*
結論から言うと、私もあなたも今必要なのは、「推し」の存在です。
なぜなら、推しがあるだけで生きるエネルギーが全然変わるからです。
推しを言い換えると「だれのため?」です。
自分のことではなく、”だれかをハッピーにしたい”という気持ち。
そのかけがえのない存在があるだけで、人ってすんごいパワーがみなぎってくるのです。
たとえば、ぼくはここ数年でたくさんの学生と話したり、若い社会人の方々のお話を聞く機会がありました。
うっすらですが「この人なんか元気というかパワーないな」と感じる瞬間があります。
一方、エネルギーに満ちている人も少数ですがいることも事実です。
この違いってなんだろうなぁと。
しばしば考えてきてなんとなく分かってきたのです。
たぶん、「推しがいるかいないか」ではないか・・・。
彼ら彼女らとの対話の中からそう思うようになりました。
思えば今年はようやくマスクを着けずに過ごせた夏でしたが、ここ数年間は違ったじゃないですか。
マスク生活では、多くの人の意識の向きはまず「自分」でしたよね。
自分の健康のため、自分を守ることが最優先だったと思います。
それはそれで大切な視点であり、私たちに必要な数年間でした。
しかし「自分のためだけ」に生きているとパワーはそれほど出せない感覚ってありませんでしたか?
暮らしにハリが出なくなるような感じ。
(もちろん人によることではありますが)
ちなみに私は自分の子どもができてから「自分のことはもういいや」と思えるようになりました。親ならみな近しい感情があるはず。
わが子というかけがえのない推しの存在がいるからこそ、あなたも日々頑張れているのではないでしょうか。
もし子どもがいなくても、自分以外のかけがえのない存在は自分次第でつくることができます。架空の人でも、ペットでもいいでしょう。
話をマスク生活に戻すと、マスクを外せる今年になって、うっすら思ったことがありませんでしたか?(あくまでぼくの想像です)
「アレッ?…だれのため、が、ない。」と。
なんだか毎日元気やエネルギーが湧いてこない理由。
それは「推しがいない状態だから」なのです。
いろんな資格を取ろうとか、スキルや能力を高めようと必死に頑張ろうとしている人にも伝えたい。
「だれのため?」を考えてみることから始めてはいかがでしょうか。
*
まず、たった一人の推しの存在を見つけるのです。
もちろん一人じゃなく、たくさんいても良いと思います。
推しがいればいるほど、すんごいパワーが湧いてくるでしょうから。
「今、あなたの推しは誰ですか?」
あなたにはまだまだ使われていないポテンシャルとパワーがあるのです。
もしも推しがいれば、毎日をもっと元気に生き生きと過ごしていくことができるはずです。
もっと大きなことを言うなら、今の日本経済を回すために必要なのは、もしかしてひとりひとりの「推し」なのかも知れません。
鍵は、「推し」の発見にあり。
誰かのために今日を生きてみよう。
それでは、また。
PS,ちなみに今の私の推しは、バスケ日本代表最年長の比江島選手です。次の試合も応援しています!