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【年始に考えたい】じぶんの芸風をつくりながら生きていく

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年始のテレビでは恒例のように、さまざまな芸人や芸能人を観ることができます。
束の間の家族団欒で観ている方も多いでしょう。

演者はそれぞれ自分の「芸風」というものを持っていますよね。
芸風とは、俳優や演芸家が芸をする時の、その人に独得の仕方・持ち味のこと。

その芸風に磨きをかけて、独自のポジションを築き上げていくわけです。
観ている側は、その芸風に惚れ込んだり、感動したりする。
(ちなみにぼくはお笑いならナイツとテンダラーが大好きです)

今回記事でぼくが伝えたいのは、芸風をもって生きるって決して芸人の世界だけではないんじゃないか、庶民のぼくらにも生きる上で大きなヒントになるのではないかということなのです。

ではみかんの皮をむきながら解説をしていきます。

 

 

結論から言います。
「素の人格で会社や職場に行っちゃいけない。」

これは社会人になる方たちへぼくがよく伝える言葉です。
自分という一人格そのままで社会という大海原へ飛び出すとなかなか危ないよ、と。

なぜか?

シンプルに、色々と傷つくからです。
社会は、学校のように正解が1つじゃないし、すべてが論理的じゃないし、いろんな価値観があって、「は?」と思うような理不尽なことも多々あります。

プライベートの自分そのままで、朝スーツを着て会社にいくとしましょう。最初はまだ新人ですから、仕事で失敗をします。その失敗に対して上司からかなりの雷が落とされるとしましょう。

そうすると、どうなるか?
自分の全人格が否定されたかのように感じてしまいます。

若い頃、ぼくはそんなことがしょっちゅうでした。もう落ち込みが止まない。心が何度折れかけたことか。
素の人格で会社に行くなという理由はそこにあります。

何かと傷つくわけです。

しかし、やがて立場が変わって上司になると分かってくるのですが、ダメ出しをしているのは、あなたの「仕事」に対してであって、あなた自身に対してではないのですよ、大抵は。

でも若い頃ってそんなこと理解できるはずもありません、よね。

 

 

じゃあどうすればいいのでしょうか。
ここで「芸風」という発想が役に立つのです。

平たく言えば、「役を演じればいい」。
その時々の役作りをして、舞台に上がるのです。

会社という舞台では、それぞれ何らかの役割を要求されます。

例えば、お店。
明るく爽やかにテキパキと対応をしてくれる店員さんがいます。
でもこの店員さんは四六時中ずっとそんなキャラクターなわけ、ないでしょう。ふだんはかなり物静かな人かもしれません。

会社が舞台ならば、出勤前の自宅は楽屋といえるでしょう。
ぼくの場合は朝、鏡を観て髪を整えながら、少しづつ役に入っていきます。ジャケットを着て、玄関を出たらもう素の自分ではありません。
「劇」の幕が上がります。

講師という仕事が多いので、明るくテンポよく話していく前向きな芸風に変身しています(普段はあまり話さない無口で鈍臭い人間です)。

ぼくたちは自然と役を演じ、使い分けながら社会で生きているはずです。
仕事の場に「素の自分」を持っていかず、その都度求められる芸風を演じ続けていくことで職業人としての自分が形成されていくのではないでしょうか。

まさに会社は吉本新喜劇みたいなもの。
住まいが大阪なので例えにしてみますが、あのたくさんの個性豊かなキャラクターをみんなが舞台の上で演じきっている。

そう考えると、同僚や上司も「共演者」という発想ができます。
そう、あの上司はわざとズラをかぶっているのです。
そして、あの苦手な先輩は、今回そういうキャラを演じている。

仕事ですから、あの人嫌いだという理由で避けるわけにはいきません。これは劇なのです。そう割り切ってこの舞台の上でのみ、互いの役割を演じ切ればいい。そう思うと協力しあえる余地も出てくるでしょう。

会社(職場)は舞台、自宅は楽屋、同僚や上司は共演者。
この発想で、じぶんの役割(芸風)を考え、作っていきませんか。

そうすれば、たとえ叱責や批判を受けても、自分の役割(演技)への助言やアドバイスだと受け入れられるでしょう。
あなたの芸風をよりよく形作っていく単にヒントになるだけです。

良かったらあなたにも、この考えで役作りを試してみてほしいのです。
その時々で求められる役割を理解し、芸風を磨いていくことがぼくは成長なんだと思います。

さぁ2023年、幕が上がりました。
どんな芸風で生きていきますか?

それでは、また。

 

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