かれこれ10年、毎日ノートにつらつらと書き出すというささやかな習慣を持っています。
・今日1日何をしていたのか?
・何を思っていたのか?それはなぜか?
・明日はどうしたらいいと思うのか?
まるで自分のことを「他人」のように観察し、言語化した記録を残すのです。それは数年前からどうやら「ジャーナル」という言葉で聞かれるようになってきました。
「要は日記でしょ?」と思ったかもしれません。
これはぼくの微妙なニュアンスかもですが、目的が違います。
日記というのは、その日あった出来事や思ったことを忘れないために書きます。
ジャーナルは、ひと言で言えば「自己省察」。
自分を知り、より良くしていくために書きます。
「いちいち書き出すなんてしなくても、自分のことなんてわかるでしょ。」
たまにそんなことを言われます。
確かにそうかもしれません。
別にやらなくても困ることはない、のかもしれません。
でも、10年ジャーナルをし続けてみて思うことがあるのです。
別にやってもやらなくてもいいようなことこそ、長い目で見ると人生に違いをもたらしてくるんじゃないかってこと。
ジャーナル習慣を例にその理由をお伝えしたいと思います。
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なぜぼくはジャーナルを始めて、今も続けているのか?
シンプルな理由です。
自分について知らないことが多いと感じていたからです。
10年以上も前のぼくは、
・過去の出来事に囚われ、
・感情をうまくコントロールできず、
・やりたいことがあるのに先延ばしにしてしまう、
そんな人間でした。
そんな自分が嫌だから、自己投資という名のもとに自己啓発本を何冊も読み、セミナーにも参加し、知識をかき集めてばかりいました。
足りないのは「知識」だと思っていたのです。
知識さえあれば、理想の自分に変わっていけると思ったのです。
でも、笑けるほど何も変わりませんでした。
(頭はかなりでっかちになりましたけど)
そして、あるときようやく気づいたのです。
足りないのは知識やノウハウじゃなくて、自分自身の理解なんじゃないかと。
何となく自分を分かったつもりでいて、実は案外分かっていないのが自分のこと。あまりに自分のことを知らなすぎることが空回りの原因なんじゃないかと。
まずはそのことを認めること。
そこからぼくのジャーナル習慣が始まりました。
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続けてやってみると、だんだんわかってきます。
いかに自分を誤解しているかを。
いかに自分を過小評価しているのか、を。
そして自分は本当は何を大切にしたい人間なのか、が。
知らないというのは言い換えると、自分の秘めた伸びしろであり可能性がめっちゃあるということなのです。
ある程度「長期的に」ジャーナルをしてみることでその発見や理解は深まっていきます。1日や1週間程度で分かるのはたかが知れています。
まるで食事療法によって体質が改善されていくように時間を要するということです。
長い目で「ジャーナル習慣」を続けてきたぼくの場合、こうなってきました。
人生の方向性が見えるようになってきました。
人生の目的といってもいいでしょう。
そして、たぶんこっちの方向が自分は愉しいだろうなというワクワクした予想がいろんな場面でできてくるようになってきました。
ジャーナルの賜物といってもいいでしょう。
紙に自分のことを書き出す素朴な習慣。
一見やってもやらなくてもいいような日々においては小さなことです。
でも、そういったことほど実は長い目で見て、人生に違いをもたらしてくるんですよね。
あなたにもそんなささやかな習慣ってあるかもしれませんね。
それでは、また。