最近、小2の長女が「たまごっち」でふたたび遊んでいるようです。
平日の昼間は学校があるため、ぼくが日中家で仕事をしているときには、面倒を頼まれます。
「パパ!わたしが学校行っている間、ちゃんとやっといてよね!」
なんだか遊びというより、長女にとってはペットや子ども?を育てているのと同じ感覚のよう。
40半ばも過ぎたおじさんが昼間、たまごっちでピッピと掃除をして、食事を与え、散歩に連れていく。
(ん!?どうしてそれでも泣いているんだろう?)
仕事中にも関わらず、思わずたまごっちを考えてしまいます。
おむつも替えた。
一緒に遊んでやったのに。。
まだ散歩が足りないのか?
(いやちがう、デザート!そうだ、何か甘いものが欲しいに違いない!)
ふぅ〜やっと笑顔になりました。
よしよしあとはお昼寝しよう。
(これで長女に怒られなくて済む・・・)
以前、たまごっちを頼まれたにも関わらず放ったらかしにしていたときには学校から帰るなり、烈火のごとく怒られました。
*
子どもがたまごっちに真剣になるように。
親はわが子を育てることに真剣です。
こっちはまさに毎日がリアルたまごっちですから。
この「育てる」という営みになぜ人は真剣になるのでしょうか。
そして、ときに疲れて落ち込んだり怒ったりすることもあるけれども、なぜそれ以上に大きな喜びを感じるのでしょうか。
ふと思いました。
たぶん、「育てる」ことって一番楽しいんだ、と。
たとえば、
・子どもを、育てる
・ダンナを、育てる
・ペットを、育てる
・植物を、育てる
・ビジネスを、育てる
・部下を、育てる
・顧客を、育てる
・会社を、育てる
・人間関係を、育てる
・お金を、育てる
・食べ物を、育てる
・ゲームキャラを、育てる
・noteを、育てる
などなど
ね、みんなそれぞれ何かを育てていませんか?
一生懸命になればなるほど、それは楽しい。
育てることこそが、実は人間の根源的な生きる喜びにつながっているんだと気づきませんか?
*
なぜ「たまごっち」という子ども向けの玩具が社会的ブームとなるほど大ヒット商品になったのか?
企画販売されたバンダイの方々が、この人間の根源的な喜びに気づいていたのかどうかは分かりません。
しかし、育てることって大人だけではなく、子供でも楽しいんだと思っていたのは間違いないでしょう。憶測ですけどね。
そう、育てることって楽しいし、喜びなのです。
とするなら、今ぼくやあなたが取り組んでいる仕事や様々な課題について、「育てる」という視点を取り入れていくと、なにか日々の感覚が変わってこないでしょうか。
育てる発想を持つだけで、対象に愛着が湧いたり、結果を急がず長期的な眼差しで一喜一憂することなく穏やかに対応していけることが増えるはずです。
「わたしはいま、コレを育てているんだ。」
この思いは、わが家の長女のように、毎日にハリを持たせてくれるでしょう。
もし毎日が楽しくないなら、何か育てる対象を見つけたらいいと思います。
たまごっちのように、手のひらサイズであっても気持ちは変わるはずです。
どんなものやコトを「育てたい」ですか?
そうそう、上記に書かなかった大切な対象が1つありました。
自分自身を、育てる
そう、私たちは誰しも毎日、自分自身を育てている。
愛情を与えて、長い目で育てていきましょうね。
この気持ち、何歳になっても忘れないようにしたいものです。
それでは、また。