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聴くことを通じて「理解」というプレゼントを

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私は相手の話をどの程度聞けているのだろうか、
そんなことをふと感じる時があります。
もちろん、聞いているつもり、なのです。

 

しかし、相手の話を聞きながら頭の中では反論を用意したり、自分の体験を思う浮かべていたり、それを持ち出して比較し始めたり、求められてもいないのに、自分の基準で善悪を勝手に決めつけたり、無意識でマウントを取ろうとしている自分がいたり・・・

 

そんな時があります。

 

話を聞くことのほんとうの目的って一体何なのでしょうね。

 

 

静かに考えてみると、それは「相手を理解すること」

この1点なんだと気づきます。

一見当たり前のようですが、よく理解しないまま、あるいはわかったつもりのままで言葉を返すから的外れになるのです。

 

コミュニケーションが複雑になるのは、シンプルにこの理解不足なんじゃないだろうかって思います。

 

聞くことには、理解という目的以外は要らないはずなのです。

 

しかし、無意識に違った目的を持って相手の話を聞いてしまうことって意外と多いのではないか、そう感じるのは私だけでしょうか。

 

多分聞くことには2つのレベルがあるんだと思います。

 

1つは、「聞く」
これは単純に、言葉から伝わる事実を理解すること。
普通に誰しも備わっている能力です。

例えば、

「今日は暑いですね」「そうですね」(以上)
みたいなものです。まぁありますよね。

もうひとつは、「聴く」
これは相手の発言の真意を捉え、適切な対応をすること。
傾聴と言われるにはこのレベルかと思います。

例えば、

「今日は暑いですね」「そうですね、窓開けましょうか?」

これが真意を捉えて、適切な対応をするイメージです。

 

聞くことは誰でもできるけど、聴くことは訓練が必要かもしれません。
理解しようと飲み込むように相手の話に集中しないと理解できません。
言葉以外の声や、表情など総合的に観察しないとメッセージは掴めません。

 

今必要とされているのはまさにこういった「聴く」能力。
コミュニケーションで先立つのはこっちなんじゃないか。
そんなことをヒシヒシと感じます。

 

話すことばかりに気を取られている自分への戒めを感じています。

 

 

もう一度、「聴く」ことから大切にしてみたいと思います。
そんなことを感じ取れた週末でした。

 

ちなみに、
あなたの話を途中で遮ることなく、最後まで全身全霊で聴いてくれる人って周囲にどのくらいいますか?

 

この質問、研修をした際によく聞いてみるのですが、少ないんですよね。
というか、ほぼ、いない。

もし聴いてくれる人がいたら、かなり幸せです。

 

最後まで自分の話を聴いてもらえたときって、実は感動します。
かつてそんなご経験ないですか。

私の場合は、母親がそうでした。

 

感動といっても泣くとかじゃなく、嬉しいより少し上。
言葉にならない程度の静かな感動です。

そして感動だけではなく、癒されたり、アイデアが沸いたり、勇気が湧いてきたり、何か人生で大切なことを思い出す時間になったり。

ただ聴くだけ、です。

それだけ、聴くことにはパワーがあるようです。

 

今日は、母の日。
まずは妻の話しを最後まで「聴いて」過ごしたいと思います。

聴くことを通じて、理解というプレゼントを。

それでは、また。

 

 

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