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映画「えんとつ町のプペル」が全く心に響かなかった件

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はじめに断っておきたいのですが、
本作品をただ批判したいわけではないのでご了承くださいね。
最後はじぶん自身への学びに転化しております。

 

2021年、最初の映画作品

昨年末から公開している今話題の映画「えんとつ町のプペル」を観てきました。

世の中で話題になったりブームになるのは、必ずその背景に社会的な意味合い、時代のメッセージが存在します。
私はできるだけ積極的に関心を持って手にしたり、自分の目で確かめにいくことをしています。じぶんの中の世界を広げるために。

特に映画(特にアニメ)は、時代を先取りしている作品が多い。
数年先の未来予測、とでもいうのでしょうか。
一流のクリエーターの作品、感性からは学ぶことが多々あるのです。

さて、えんとつ町のプペル。
あの西野亮廣さんが製作総指揮をされたファンタジーストーリーです。
レビューはできるだけ見ずに行く私ですが、SNS等で「感動した!」「号泣!」「もう3回観た!」など大絶賛の発信が自然と視野に入ってはいました。

そういう前提はあった上で・・・
実際私が観終わった感想を端的に言います。

 

 

 

「つまらないわけではないが、決して面白くもなかった。」

 

 

 

できれば私も感動してその大絶賛レビューをブログに書きたかった。
そのつもり、でした。

しかし「来るか、来るか」と期待していたのですが、最後まで心に響いてこなかった。
残念ながら、心に刺さりませんでした。

こういうと西野さんファンからは怒られそうですが、これが正直な感想です。

(ちなみに、個人的に西野さんは好きですし尊敬しています。オンラインサロンの会員ではありませんが、西野さんの発信をフォローしているひとりです)

確かに、映像や描いている世界観は凄い。
手にしたポテトチップスを食べるのも忘れるほど引き込まれます。
また声優陣も素晴らしかった。
そのキャスティング力には脱帽です。

 

 

しかし、大きく次の3点から気持ちが下がっていきました。

 

①要所要所で目につく違和感
②要所要所の音楽(特に歌詞)
③ナレーションのくどさ

 

例えるならば、
全部乗せのこてこてラーメンを具や麺だけでなく、汁までをも全て飲み干さなければならない気がしてくる感じ、とでもいうのでしょうか。
美味しいんだけど、具、麺、スープそれぞれの主張が強くて統一感がない。

組織でも全員エース級だからといってチーム力が上がるわけではない。
むしろ、隙間が生まれポテンヒットのようなことが起こりがちになる。
部品部品が最高級でも、全体として最高級になるわけではない。

要素還元主義ではなく、関係性視点。
そう、大切なのは「相互補完関係」なのかもしれない。
かつて在籍していたコンサルティング会社でよく使っていた組織開発ワードが浮かんできました。

 

要所要所で目につく違和感

映画とは限られた時間枠での創作。
なので本作品に限らず、つっこみポイントは他の映画においても多々あるものです。

いい大人、そんな細かい点には目をつぶり楽しみましょうよ、なのですけど・・・

本作品「ん?」がやたら気になりました。

まだ観ていないこれから楽しみにされている方もいると思いますので、具体的な描写はここでは控えますが、ざっくり2つの観点だけ。

 

・相手の主張がわからないまま、安易に善と悪を固定したまま話が進む点
なんだか一方的。じぶんが正しくて相手は間違っている。我こそが正義!というどこか稚拙な正義感の押し付けにやや胃もたれを感じました。
(個人的にはもう少し他者視点も描いてほしかったです)

・誰しもふつうに感じるであろう「ギモン」への「こたえ」がないまま進む点
一体この人はダレ?なんでこの物体が突然出てきたのか?そもそもなんでいなくなってしまったのか?などなど。
アレアレアレ?・・・が立て続けにあると、疑問だけが膨らみ気持ちが止まってしまいます。
誰にも感情移入しずらいまま、がんがん進んでいく感じでした。

 

もしこれがビジネスプレゼンテーションなら、(熱い気持ちは伝わるものの)手厳しいフィードバックがバンバン飛んできそうです。

そもそも子供向けの絵本をベースにしているならば、「夢を諦めずにチャレンジしていこうね」「アンパーンチ!」というメッセージに集約して終わりでいいのでしょうけど。

 

要所要所の音楽(特に歌詞)

なんだか、失礼なことばかり言うようで申し訳ないのですが、
次に気になってしまった「音楽」について。

もちろん私は音楽に精通しているわけではありません。
ただ、気になってしょうがなかった。

作品中、歌がたびたび挿入されてきます。
最初のダンスシーンでの音楽はやや心躍るものを感じその後を期待しましたが、後に流れる歌については、もうバラバラ。
その場その場のシーンを歌詞で説明しているのですが、どストレート過ぎる。

あれってミュージカル風、だったんでしょうか。

「ちょっと静かにして下さい」と言いたくなるような主張力を感じてしまいました。
また「歌詞」がスクリーンに流れるのですが、そちらに目を奪われて肝心の映像を瞬間瞬間見失うという、主従逆転現象が起きる。
落ち着かない。
ここぞ、という一場面ならアリなのかもしれませんが、そのここぞが何度も。。。

 

ナレーションのくどさ

私も言葉を扱う仕事。
考えさせられました。
言葉とは、ひたすら尽くせばいいのか、とにかく言いたいことを全て言うことがいいのか、と。

特に終盤のクライマックスシーン。
どんどんナレーションが盛り上がっていく。
ストーリーを補完する上で大切な役割を果たしている点はわかります。
ある時点までは映像と音楽とマッチしていたのですが、ある瞬間、臨界点を超えたかのようにナレーションが突き抜けていきます!

 

ナ:「どんどん上がれ!舞い上がれ〜!!」
(詳細は覚えておりません、こんな感じ)

私:「・・・うるさい。」

 

思わず、こころの中で言ってしまいました。
(申し訳ありません)

私自身の気持ちが冷めていく一方で、映画は”熱盛り”状態だったのでうるさく感じてしまったのだと思います。

繰り返しますが、これはあくまで私個人の主観ですからね。
感じ方は人それぞれ。受け止め方は自由ですから。
ぜひ劇場へ足を運んで観てください。

 

 

結局、本作品から何を学べたのか?

ああ、こんな批判めいたことを書きたくなかった。
事前期待とのギャップなんでしょう。
では「ここから何を学ぶのか?」これが私にとって大事な問いです。

今回の作品、端的に言って何も感動しなかったわけです。
それがなぜなのか、自分にベクトルを向けて考えてみました。

答えは、私の心が感動を求めていなかったから。

結局、人は見たいものを見る生きもの。
感動を求めると、感動ポイントにフォーカスします。
笑いたければ、笑いポイントにフォーカスする。

映画でも本でも同じです。
「わたし」が何を求めるかによって映るものは変わる。
得るものも変わります。

 

本作品は、
・何かに挑戦したいけど二の足を踏んでいる人、
・まさに今純粋に壁を乗り越えようと頑張っている人
には、欲しいメッセージをたくさん受け取れるかもしれません。

後半は自己啓発セミナーとしても成立する感じなので。
(名言連発です)

ただ、正月をゆっくり過ごす「今の私の心」が求めていたものは、
「うす味で余白のある物語」
だった、ということです。

コテコテのラーメンではなく、素うどんが食べたかったということなんだと思います。

 

 

「いまの自分は一体何を求めているのだろう?」

 

本作品を通じて、この問いが浮かびました。

数ヶ月後に、本作品を観るとまた違った感想を持つかもしれません。
映画はその時のじぶんの心との相互作用によって感動や面白さが変わります。
だから「作品」として後世に残るのでしょう。

また、時間を置いて本作品には触れてみたいと思います。

西野さん、スタッフの皆さん、
貴重な考える機会をいただけました。

この作品を通じて、
「じゃああなた自身はこれからの時代、どう生きたいのよ?」
いつも考えなよ。

そう問いかけられたのだ、と私は受け取りました。

何かに期待し続ける人生ではなく、意思や決意をもつ人生こそ価値がある。

最後に。
映画作りの難しさなど全く分からない素人が偉そうにレビューしてしまったこと、心よりお詫びします。

私もまさに意思を持って挑戦中の身です。
じぶんを信じ抜いてやっていきます。

ありがとうございました。

 

 



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