誤解を恐れずに言いますと、人生は「逃げてもOK」なんだと思うのです。
嫌だったり合わなかったら、どんどん逃げようぜ、です。
小さいことにやっていた鬼ごっこのように。
もっとポップでライトな生き方でいい気がします。
「重さより、軽さ」
そんな時代なんだと思います。
どうぞ色とりどりの選択肢を眺めていこうよ。
そもそも「逃げる」という言葉に含まれるニュアンスがゴリゴリにマイナス。
ぼくたちは逃げちゃダメだ、逃げたら負けだ、ポンコツだと刷り込まれて今に至ります。特にぼくのような昭和世代は。
だから、嫌なことでも口に出さずに抱え込みます。我慢が得意。苦しくても三年は石の上に座り続けろって言われて育ちましたもん。
でもね。
服をすべて脱ぎ捨てて全裸になってふと考えてみると、実のところ正解なんて色々あるはずなのです。
これは間違いだとか思っていないでしょうか。
狭い世界で勝手に苦しめていないですか、じぶんを。
別に逃げてみたっていいんです。
そんな1個にこだわらなくて良いのですよ。
他に選択肢はたくさんあるんですから。
たった1度の人生、いろいろ試したら良いじゃないですか。
世界はずっとずっと広いのです。
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振り返ってみると、ぼくは子どものころ、野球から逃げてサッカーを始めました。
今ではサッカーに出会えて良かったと思います。
初めて就職した会社も数年で逃げるように辞めて、転職しました。
「あいつは逃げた」って陰では言われていたようです。
その後も、結局雇われる生き方が嫌になって(逃げて)独立しました。
いろんなことから逃げて逃げて、今のぼくに至ります。
でも「よかった」って思っているのです。
いま幸せだから。
むしろ、あの時逃げていなければと思うとゾッとすることも多々あります。
わが家の息子も、小さいころ数々の習い事がすぐ嫌になり辞めました。
辞めたいとなったとき、そりゃ妻となかなかの口論になりましたが、ぼくは逃げるを許可し続けました。
今ではバスケットに出会い、水を得た魚のように生き生きと楽しんでのめり込んでいます。「逃げた」から出会えたと言えます。
そんなの結果論じゃないか!
1つのことを続けることに価値がある!
困難を乗り越えられる人間にしたい!
ハイその親心、重々分かります。
その通りだと思います。
ぼくが大切にしたいのは、逃げる選択肢もフラットに置いていいと思うってことです。へんに大人が狭い価値観から正解らしきを決めて押し付ける必要はないのです。
逃げるも含めてなにかを1つ選んだ。
もちろん結果はどうなるか分かりません。
逃げて後悔だって時にはあるでしょう。
それは選んだ本人が引き受けますし、そこから自然と何かを学んでいくはずなのです。
そう、逃げても人生は続くのです。
どうでしょう、そろそろ「逃げる」を軽やかに置き換えてみては。
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そもそも私たちが今この世に生きている理由。
それは遠い昔の先人の先人たちが、全力で前向きに逃げまくってきたからといえないでしょうか。
マンモスから逃げ、
自然災害から逃げ、
いろんな山賊たち(他もろもろ)から逃げる。
という選択をしてきた結果かもしれません。
逃げるを選んだご先祖様たち、サンクス!と言いたい。
ぼくは思い切ってあなたに伝えておきます。
「逃げたって大丈夫」
他人にいちいち言われなくても、いつか「ここだけは逃げたくない」って大切なときはやってくる。それは自然と分かる日がやってくる。
そしたら肚をくくって向き合おう。
たとえそれが自分より大きいマンモスだったとしても、ね。
それでは、また。