何かを継続できているというのは、それが正しいからじゃなくて、楽しいから続いているんだと思うのです。
正しさというのは、じぶんの外側での基準になりやすい。
たとえば子育て。
みんながスイミングを習っているので、うちの子も習わせる。
なんとなくそれが正解っぽくみえるから。
でも、楽しいかどうかは人ぞれぞれです。
ちなみにうちの子はひたすら真っすぐに泳ぐという行為にまったく楽しさを見出せずにとっととやめました。
嫌なのに続けさせることに意味があるでしょうか?
いろいろ意見が割れるでしょう。
好きなようにすればいいと思います。
私の意見は、多少意味はあるのかもしれないけど、突き詰めると親のエゴ。
たとえば、大人になって仮に世間にうらやましがられるような職業に付けたとしても、必ずしもその仕事が続くとは限りません。
逆に、一見ありきたりな仕事だとしても、その人にしかわからない面白さを見出して生き生きと働いている。そんな人も社会にはたくさんいます。
そう、楽しさはじぶんの内側にしか基準がない。
楽しいと自然体のじぶんでいられるし、必要な努力や工夫は勝手にやるのです。
そして楽しいことは、続くのです。
だから大切なことは、
何歳になろうが、いまのじぶんを理解すること。
なにを楽しいと思うのか。
どんなことにワクワクしてくるのか。
カビの生えたような世の常識とか、誰かの評価とか、いわゆる正しいかどうかばかりを気にしすぎると、なんか息苦しくなってこないでしょうか。
すべてとは言いませんが、いま非常識だと言われることって次の時代の常識になったりしていくものです。ふりかえるとそんなこと多々あります。
つまりそれが正しいかどうかなんて、いまこの瞬間だけ。
他人がどうこう言おうが、本人にしかその楽しさは分かりません。
だから、気にする必要はなくて淡々とやっていていい。
正しさよりじぶんの楽しさを見つけていく方が未来は愉しくなっていくでしょう。
ブログを書くことだって、正しいからではなく、楽しいからこそ継続できている。
楽しいかどうかが判断基準。
もうそういう時代なんじゃないかと感じています。
「今日、なにを楽しいと感じた?」
ぼくは毎日、子どもたちに問いかけています。
そして、今日もじぶんを理解するために、問いかけながら日記を書いています。
日記は豊かな人生を下支えしていく基本フォーマット。
おすすめの習慣です。よかったらご参考に。