高3の冬の私。
第一志望だった大学受験の最中、お腹が痛くなってきて我慢できず、試験途中にトイレに駆け込みました。
個室の中で終了の鐘の音を聞いたとき、「ぼくは終わった」と涙が出てきたことを思い出します。
そこは世間体もいいし、ブランドもあり、憧れでした。
「あの銀杏並木を歩く学生生活、最高だろうなぁ。」
今でも正月の箱根駅伝を見るたび、そのことをふっと思い出します。
そして大学4年の春。
第一志望だった会社はことごとく予選敗退。
「こんな会社に入れたら、人生ハッピーになるに違いない。あんな颯爽と高層ビルのロビーをカッコつけて歩きてぇ!」
世間体がいいし、給料いい、友達に自慢できる、たぶんモテるだろう。
そう思って第一志望として受けていた会社は全部落ちました。
「もう行きたい会社がない。」
その青年は中途半端なブランド志向。
世の中をまったく知りませんでした(笑)。
*
でも。
いま振り返ると、ことごとく第一志望に選ばれなかった人生で、私はよかったと思えるのです。(決して負け惜しみでなく)
不運にも世間体がいいところに選ばれていたら、そこで自分は満足していたんじゃないか、結局いつまでも世間体のために人生を費やす奴になっていたんじゃないか。
じぶんの性格上、そう思うからです。
「第一志望に入りたい、選ばれたい。」
そう願い、努力することを決して否定したいわけではありません。
むしろ全力で当たってほしいと思います。
受かったならそれはそれで幸せがあるでしょう。
伝えたいのは、もし当たって砕け散ったとしても、そこで人生は終わりじゃないんだということです。
世間体のための受験や就活じゃなく、そこから「自分のための選択」が始まるからです。
*
本当に手にしたいのは世間のブランドよりも、自分自身の納得なんじゃないですか。
結局私は、銀杏並木どころか、バスで山に登っていくような学校に通ったし、高層ビルどころか、街角の雑居ビルのワンフロアから社会人をスタートしました。(いずれも素晴らしい環境でしたよ)
大学も会社も志望順で言えば、ランク圏外にあったところです。
でも。
おかげで私は今、天職に出会うことができている。
いま振り返ると、節目節目で第一志望を諦めてきたからこそ、とっとと自分自身の成長にエネルギーを注ぐことが自然とできたのだと思うのです。
なので、私は学生によく言います。
学生と話していて、ちょっと視野が狭くなっているなぁと感じたときに、紹介するHPがあります。
「暇なとき、さらさらっと見てみて」と。
世の中にはいろんな仕事や生き方があって、そういった人たちを取材しながら丁寧に紹介している素敵なHPで、個人的に好きなんです。
衝撃を受けたのは、以前こんな募集を見たとき。
やりたいかどうかは別として、ちょっと「おっ」ってなりませんか。
就職ってなにもみんなと同じ真っ黒なリクルートスーツを着て、みんなと同じように都会のど真ん中のビルに列を為すだけじゃないんだよ。
”あなたの天職って、もしかしたらいま頭の中にあるランキングの圏外にあるのかもしれませんよ。”
そんなことをやさしく問いかけられている気がしてくるのです。
世の中には無数の職業があって、無数の生き方があります。
サラリーマンとはその中にある1つに過ぎないのです。
それぐらい視野を広げて世の中を見ていきませんか。
なんでもそうですが、道はひとつじゃない。
第一志望に落ちた人こそが、じぶんの道を探し出せる。
私はそう信じています。
それでは、また。