十人十色のものの見方があるなかで、じぶんの意見を「決め」て、打ち出すには勇気が要りますよね。
じぶんの意見が「的外れ」なものだったら、周囲から反発や失笑をもらう。
仮に「的確」だったとしてもこんな時代、「いや、私は必ずしもそうは思わない」だの「それよりこっちなんじゃないか」とか異論や反論が出てくる可能性は多分にあるでしょう。
もはや、じぶんの意見を発信することなんてリスクしかないんじゃないの?
そう思ってしまうあなたの気持ちは痛いほどわかるのです。
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たしかに、じぶんの決めなんて持たずに、あたりさわりのないフワッとした誰も何も切り落とすことのないコミュニケーションの方が適している場合もあります。
みんなと同調することが優先される、たとえば飲み会の場とか。
「だよね〜」と。
「わかるわかる」と。
「うんうん」と。
それでいいじゃないですか。
誰も反発することなく、されることなく、なごみの一体感。
最高じゃないですか!?
わたしはそんな空間で、そんな柔らかいコミュニケーションなら得意かも・・・うなづき、同調、共感とか。
あなたはそう言って安心を求めるのかもしれませんね。
「うんうん、たしかにそれいいかもね。」
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それでも。
ぼくは社会に出ていく前のあなたにあえて伝えておきたいことがあるのです。
じぶんの「決め」を持つことを習慣にしてほしい。
なぜなら、時としてぼくたちはじぶんの「決め」を勇気を持って相手に打ち出していかなければならないことが必ずあるからです。
様々な価値観や意見の漂う中で、じぶん独自の切り口で「わたしはこう思う」と勇気を出してコミュニケーションしていかなければどうしても前に進めない時ってあるのです。
それは仕事の場面で、ある問題を解決していく場面で、人生の岐路に立った場面で、大切な誰かが迷っている場で。
他者から反発されるリスクを背負ってでもあなたの「決め」を打ち出さなきゃならない。
一般論とかで逃げちゃいけない場面が、ある。
でも、そこでこそあなたがあなたになる場面なんだと思うのです。
あなたという存在はこの世にたった一人です。
あなたの心からの「決め」こそが存在意義なのです。
あなたのように傷ついた経験がある人はほんとうは強い。
リスクがあることを知っているからこそ「決め」は冷静に慎重に、何度も考え抜くようにするからです。
じぶんの決めは正しいのだろうか?
相手が納得する根拠はこれで大丈夫なのだろうか?
伝え方はこれでいいのか?
この地味で地道な習慣を持つことで、あなたは自ずと人生を前進させるほんとうの「考える力」を磨いていくことができるでしょう。
あなたがあなたでいるために。
そっと目を閉じて、じぶんの「決め」を持とう。
それでは、また。