人生はずっと選択の連続です。
だから迷い悩みます。
でもね。
どれを選んでもいいんだと思うのです。
あなたはあなたの答えで生きていけばいい。
ぼくは心からそう思います。
たとえば。
大学生が就職でどの会社に入るのがいいのか?
たまに相談されますけど、正解なんて誰にも分かりません。
ぼくはいつもこう言います。
「どこでもいいと思うよ」と。
「はあ?」という表情の学生。
「いやいや、ファーストキャリアって大事じゃないですか」とか食い下がります。
「ほんっとどこでもいいと思うよ。今の時代、最初の会社なんかで人生決まんないから」
たとえるなら、中学1年生がはじめての部活を選ぶときに似ています。
どれがじぶんに合うかなんて分からない。飛び込んでやってみないことには合うかどうかなんて分からないのです。
まず1つテキトーに選んで飛び込めばいい。
なんかいまのじぶんがワクワクしそうな活動をしているところでいんじゃない?もちろん、途中で方向性を変えたっていいんだから。
転職だって経験してほしい。
起業や副業もどんどんチャレンジしてみたらいい。
海外に行って働くとかね、いろいろ選択肢は世の中にあるんだから。
「いやいや…でも…」以下繰り返す。
*
たぶん、きっと正解がバシッと1つあると思っているのでしょう。
算数ドリルのさいごのページに書いてあったように。
でも、ウスウス気づいているはずです。
もう誰にでも当てはまる正解なんてないことに。
みんな違う、そういうステージを生きているってことに。
むしろ考えるべきは、これまでのみんな一緒の正解らしきものからいかに離れられるかじゃないかと思うのです。
だから、いま正解らしきことには最後に「いまはね。」と付けておく。
ぼくが授業とかで言ってることなんて話半分に聞いておいてほしいと思います。10年、20年経ったらぜんぜんトンチンカンなことに聞こえているかもしれないから。
すべては「いまはね」なのです。
*
人生の答え合わせをそんなに焦らなくていい。
もっとゆっくりその時々を楽しめばいいんだと思います。
なぜって人生って、ほぼ「たまたま」ばかりなのだから。
たまたま、一緒に働くことになった。
たまたま、やる羽目になった。
たまたま、あなたを好きになった。
必要なのは正解かどうかを気にすることではなくて、選んだ道がどんな道であれ、その時々を楽しんでやろうという気持ち。
そして途中で変えたっていいんだと、じぶんに許可を出していく柔らかさなんだと思います。
だから。
あなたは、あなたの答えで生きていけ。
強いていうなら、それが正解です。
いまはね。
それでは、また。